中国 ~100年遅れの帝国主義~ まとめ

侵略国家チャイナの愚かな野望を糾弾するためのまとめブログ

タグ:歴史

1: 名無しさん@涙目です。(秋田県) [US] 2019/05/05(日) 23:09:04.93 BE:194767121-PLT(12001)
sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif
日本と中韓が抱える軋轢の多くは戦時中の出来事が原因であり、中国には歴史問題を理由に日本に対して否定的な感情を抱いている人が少なからず存在する。日本は戦時中、
東南アジアも占領したが、中国人からすると東南アジアの人びとが日本に対して「中国人のような感情を抱いていない」ことが不思議なのだという。

 中国メディアの今日頭条は4月30日、日本は第2次世界大戦中に東南アジアを侵略したと主張する一方、東南アジアの人びとは「なぜ日本を
排斥するなどの行為をしないのか」と問いかける記事を掲載した。

 記事は、旧日本軍は第二次世界大戦中、タイやマレーシア、フィリピンに侵攻し、1942年3月にはインドネシアに侵攻し、オランダをインドネシアから
追い出すことに成功したと指摘。その後もシンガポール、ミャンマーなど東南アジア諸国は相次いで日本人の手に落ちたと主張し、
日本は大東亜共栄圏を名目に東南アジアにおいて日本化の植民統治を行なったと主張した。

 一方、日本が東南アジアに侵攻したのは事実だとしながらも、インドネシアやフィリピンなどの人びとは第二次世界大戦の侵攻を理由に
日本を恨んではいないと指摘し、これは「日本の侵攻が独立につながったためである」と指摘。第二次世界大戦前の東南アジア諸国は
タイを除けば、欧州の国によって植民地とされ、主権を持たなかったと指摘し、現地の人びとは当時、奴隷のように虐げられていたのだと指摘した。

 続けて、日本が東南アジアに侵攻し、欧米の国を追い払ったことで東南アジアの国々は戦後に相次いで主権を取り戻すことができたと強調、
これが東南アジアの人びとが日本に対して「中国人のような感情を抱いていない」理由だと伝えている。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

http://news.searchina.net/id/1678457?page=1

続きを読む

1: プティフランスパン ★ 2019/04/21(日) 08:28:49.94
※ たまたま
2019年4月20日 19時10分 新華社通信
http://news.livedoor.com/article/detail/16346968/
no title

no title

15日、瀏陽市の山あいにある自宅で車椅子に座る陳美英さん。(長沙=新華社記者/柳王敏)

 【新華社長沙4月20日】中国江蘇省南京市の侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館と南京利済港慰安所旧跡陳列館の職員がこのほど、湖南省瀏陽(りゅうよう)市在住の93歳の陳美英(ちん・びえい)さんを日本軍の「慰安婦」制度被害者と新たに確認した。
陳さんは現時点で、湖南省で確認された7人目の存命中の日本軍「慰安婦」制度被害者。今回の確認により、中国国内で認定された存命中の被害者は16人に増えた。

 近所に住む94歳の女性によると、日本軍は1944年の春から夏にかけてこの辺りにやって来て、逃げ遅れた村民を集めたという。女性は「日本軍は男女関係なく捕まえた。捕まると男は荷物を担がされ、女は連れて行かれた」と語った。

 無理矢理連れて行かれたその日の夜、陳さんは他の女性たちと共に民家の一部屋に閉じ込められ、日本軍に性的暴行を受けた。日本軍による苦痛の日々はその後28日間続き、軍隊の休養と再編をする日本軍に従って湖南省醴陵(れいりょう)市泗汾(しふん)鎮に入った頃、陳さんは病気になり、歩くこともできなくなっていた。
同鎮に住む心優しい老婦人が、日本軍が訓練のために村から出た頃合いを見計らって陳さんをひそかにかくまい、捜索の手からも逃れさせた。日本軍が村を去ると、老婦人は人に頼んで徒歩で2日かけて陳さんの消息を伝えた。陳さんは最終的に家族に担がれて家に戻った。

 陳さんはその後、9人の子どもを産み、うち3人が今も健在だ。日頃は四男の妻と暮らしており、息子夫婦や孫らが新しい服や靴を用意している。また、陳さんは政府から毎月380元(1元=約17円)の養老補助金を受け取っている。(記者/阮周囲、柳王敏)
no title

no title

no title

no title

15日、瀏陽市の山あいにある自宅で車椅子に座る陳美英さん。(長沙=新華社記者/柳王敏)

no title

no title

15日、陳美英さんの着替えを手伝う三男の黄啓亮(こう・けいりょう)さん。(長沙=新華社記者/柳王敏)

続きを読む

1: 名無しさん@涙目です。(秋田県) [US] 2019/04/14(日) 16:32:33.45 BE:194767121-PLT(12001)
sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif
中国では日本が「侵略した」ことを理由に、今も日本に対して否定的な感情を抱いている人が少なからず存在する。日本もかつて元王朝による
2度の襲撃を受けたが、これは未遂とは言えども「中国は日本を侵略しようとした」と言えるのだろうか。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、元寇を理由に「中国はかつて日本を侵略しようとした」という意見があることを伝えつつ、
こうした意見は「事実か、それともデタラメか」と問いかける記事を掲載した。

 記事は、1274年の文永の役と1281年の弘安の役は元王朝と呼ばれたモンゴル帝国が日本に対して行った侵攻であると主張。
当時の日本は元に対して九州北部で激しく抵抗したと紹介し、神風と呼ばれる暴風雨の影響もあって元の2度の日本侵攻は失敗に終わったと指摘した。

 続けて、元寇は果たして「中国王朝による日本侵略だったのか」と問いかけつつ、「侵略だったのかと言えば、侵略だった」と主張する一方で、
「中国による侵略ではなかった」と指摘。なぜならモンゴル帝国は遊牧民族による侵略王朝であり、当時の漢民族もモンゴル帝国に侵略された被害者だったからだと主張した。

 さらに、今でこそ中国にはモンゴル族を含めた様々な民族の人がいるとしながらも、かつての中国大陸では王朝によって支配する民族が違っており、
特に漢民族はモンゴル帝国によって迫害される側だったと主張。あくまでも個人的見解だと指摘しつつも、元は中国王朝ではなく、
それゆえ中国は日本を侵略しようとしたことはないとの見方を示した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

http://news.searchina.net/id/1677820?page=1

続きを読む

1: 名無しさん@涙目です。(秋田県) [US] 2019/04/14(日) 09:04:42.36 BE:194767121-PLT(12001)
sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif
中国メディア・東方網は12日、「唐の長安をお手本にした日本人は、そこから自らの文化や芸術を発展していった」とする記事を掲載した。

 記事は、日本人は外国から取り入れた物や文化に対して、尋常ならぬ敏感さと智慧を持っているとし、古くは6世紀より大陸の優れた文明を
大々的に日本に取り入れるようになり、宗教をはじめ、全く新しい生活方式が日本にもたらされたと紹介した。

 また、645年に始まった大化の改新以降、日本は唐に学んで天皇を頂点とする中央集権制の国を作ったほか、中国の行政区画モデルも
取り入れて国や郡を設置し、天皇の名においてすべての土地を国有化したうえで農民に再配分する措置を取ったと伝えている。

 一方で、中国から進んだ政治制度や文化、技術を学んだ時点から日本では自前の新たな文化を生む動きが始まったと説明。その例として
摂関政治によって栄華を極めた藤原氏による「二重政権」体制の実現を挙げ、藤原一族が行政と軍事において最高の権力を握り、
天皇に代わる事実上の支配者となったとし、これにより天皇の地位が近代の始まりに至るまで弱まっていくことになったと紹介した。

 また、日本は唐の時代以降も中国の制度や文化を取りれ続ける一方で、それらを現地化していったとし、漢字を改良した文字体系の構築や、
儒教を柱とした道徳観や政治学説などの形成を例に挙げている。

 良いと思った物を進んで吸収しようとしても、単に真似をするだけではうまくいかない。やはりそこには自分たちの気候風土にあったスタイルに
変えていく努力と智慧が必要だ。記事の作者は、この点において日本が優れた能力を持っていると感じたようだ。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)

http://news.searchina.net/id/1677816?page=1

続きを読む

1: 名無しさん@涙目です。(愛媛県) [ニダ] 2019/04/09(火) 21:41:51.25 BE:135853815-PLT(12000)
sssp://img.5ch.net/premium/1372836.gif
<在日中国人のブログ>中国に元号が再びあったらいい

4月1日、新元号「令和」が発表された。日本中、急に「万葉集」が売られるようになった。そして、古典ブームを巻き起こした。
中国にもその波が及んだ。中国で「令和」の由来や出典を巡って、ネットをはじめ各所で大きな話題となっているらしい。
日本でも中国でも、ネットで一気に古典を探る雰囲気になってくる。古典は日中両国の一番確実な文化的な絆だと感心した。

正直言って、元号がある日本が羨ましい。今回新元号が生まれることによって、日本での暮らしの中、伝統と現代が融和することを再び心得た。
元号は歴史と文化である。中国が元号を失ったことを残念に思う。古代中国が日本に移った、昔の中国人が今の日本人に変身した、と想像した。

今の世の中、元号が使われる国は日本しかないけれど、中国は元号の発祥の地である。
中国の影響を受けて、朝鮮は6世紀、日本は7世紀、ベトナムは10世紀、元号を使い始めた。

当然のように、中国の歴史を言うなら、元号は欠かせない存在である。西暦は時間軸、元号は時間軸中の空間物語である。
西暦は歴史の望遠鏡、元号は歴史の顕微鏡である。ある元号を思えば、その時代の物語を思い出す。

日本の元号はほとんどが「四書五経」など中国の古典から出典される。今、中国は自らの古典の宝蔵を使わないともったいないではないか。
昔の中国の元号を見ると、永、和、平、慶、嘉など美しい文字が多かった。日本の元号も似たようなスタイルである。
崇禎、康熙など中国昔の元号はたいへん歴史の重みが感じられる。多くの元号が歴史と共に永遠に人々の記憶の中に刻まれている。
中国では1911年、清王朝が終わった後、元号が廃止されてしまった。そして、中国に元号が再びあったらいいと思わずにいられない。

(略)

https://www.recordchina.co.jp/b699381-s120-c60-d1120.html

続きを読む

↑このページのトップヘ