中国 ~100年遅れの帝国主義~ まとめ

侵略国家チャイナの愚かな野望を糾弾するためのまとめブログ

タグ:武漢ウイルス

1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 転載あかん 2020/10/25(日) 23:27:31.26 _USER
 【北京時事】中国国営中央テレビによると、新疆ウイグル自治区政府は25日夜、記者会見し、カシュガル地区で新型コロナウイルスの無症状感染者137人を同日確認したと発表した。24日に確認した1人を含め、138人全員が同一の衣類製造工場と関連があるという。同地区は警戒レベルを最高の「1級」に引き上げ、全住民約470万人に対するPCR検査を急いでいる。

時事ドットコム 2020年10月25日22時54分
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020102500516

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1: 影のたけし軍団 ★ 2020/10/22(木) 12:22:56.16
ブラジルのボルソナロ大統領は「国民はモルモットではない」などとSNSに投稿し、
中国製の新型コロナウイルスのワクチンを購入しない意向を示しました。

ボルソナロ大統領は21日、自身のフェイスブックに「ブラジル国民は誰かのモルモットではない」などと投稿し、
中国の製薬会社「シノバック」などが開発を進めるワクチンの購入を認めない考えを明らかにしました。

ブラジルの保健省は前日に年内に4600万回分を購入して来年1月から供給する方針を発表していましたが、
ボルソナロ大統領がこれを覆しました。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000196233.html

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1: 蚤の市 ★ 2020/10/20(火) 21:10:52.54
 日中両政府は月内にも、新型コロナウイルスの水際対策に関し、ビジネス関係者らの往来再開で合意する。出張などの短期滞在、駐在員などの長期滞在のいずれも、一定の条件のもとに認める見通しで、速やかな再開を目指す。中国は昨年ビジネス目的での来日者数が最多で、日本政府は往来再開を経済回復の加速につなげたい考えだ。

 加藤勝信官房長官は20日の記者会見で「日中両国は互いに極めて重要な隣国。往来再開を通じて経済交流が回復軌道に乗ることは大変重要だ」と指摘した。

 ビジネス目的の短期滞在は、行動計画や検査証明などを提出すれば、渡航後14日間の待機を免除する。シンガポール、韓国と既に往来を開始し、ベトナムとも合意。長期滞在は検査と14日間待機のいずれも必要で、この3カ国を含む10カ国・地域と開始している。

 日本は4月、中国全土からの入国を原則拒否し、現在の入国拒否対象は159カ国・地域。日本政府観光局によると、2019年のビジネス目的の訪日外国人約176万人のうち、中国は最多の約37万人を占める。中国は感染状況が落ち着いており、特に経済界で往来再開の要望が大きかった。【田所柳子】

[毎日新聞 2020年10月20日 20時29分(最終更新 10月20日 20時29分)
https://mainichi.jp/articles/20201020/k00/00m/030/293000c

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1: 名無しさん@おーぷん 20/09/28(月)00:25:38
https://www.worldometers.info/coronavirus/
現在世界の死者、1,000,175人
 スクリーンショット 2020-10-11 20.28.23

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1: 1ゲットロボ ★ 2020/10/05(月) 01:46:49.76
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64601350V01C20A0CZ8000/
2020/10/5 0:45 (2020/10/5 1:14更新)

日本を代表する世界的ファッションデザイナーでブランド「ケンゾー」を創設した高田賢三(たかだ・けんぞう)さんが10月4日、新型コロナウイルス感染症のためパリ近郊の病院で死去した。81歳だった。

日本の広報担当者によると、9月上旬から入院し治療に専念していたが、合併症などを併発して病状が悪化したという。

1939年兵庫県姫路市生まれ。神戸市外大を中退して文化服装学院に入学。同じくファッションデザイナーとなるコシノジュンコさん、松田光弘さん、金子功さんらとデザイン科で同窓になり、「花の9期生」と呼ばれた。60年に若手デザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞。三愛などを経て、65年に渡仏した。

70年4月、パリに初のブティック「ジャングル・ジャップ」を開店。民族調のフォークロアなどを題材に木綿素材を使ったカジュアルなファッションが人気を集め、イブ・サンローラン氏、カール・ラガーフェルド氏などとともにパリコレのトップデザイナーとして活躍した。

自らが立ち上げたブランド「ケンゾー」を93年にLVMHモエヘネシー・ルイヴィトンに売却。経営手法を巡ってLVMHグループ総帥のベルナール・アルノー氏と対立して99年に「ケンゾー」のデザイナーを引退。その後、アテネ五輪の日本選手団のユニホームなどを手がけた。

仏芸術文化勲章を受けるなど世界で高く評価された。2016年12月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。

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