1: ■忍法帖【Lv=21,キラービー,uir】 第13艦隊◆IpxlQ2BXrcdb 2018/06/30(土)05:24:10 ID:???
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 奈良時代に漆(うるし)の生産拠点「漆部造(ぬりべのみやつこ)」が置かれ、「漆発祥の地」とされる
奈良県曽爾(そに)村が、長年廃れていた村産漆の復興に取り組んでいる。古くから塗料や接着剤など多様な
用途に使われ、英語で「japan」と訳されるほど日本を象徴する素材の漆だが、実は現在国内で使う97%が
中国などからの輸入。
国宝や重要文化財建造物の修復にすら外国産漆を使わざるを得ない現状に、「日本の宝は日本の素材で守る」と、
発祥の地の誇りを胸に立ち上がった。(田中佐和)

漆文化の発信拠点完成
 奈良市から車で約1時間半。三重との県境に位置する曽爾村で5月25日、ものづくり工房「漆復興拠点ねんりん舎 
Urushi Base Soni」の完成式典が行われていた。
 20年間空き家だった古民家を改修して作られた同施設は、県内外の漆作家らが活用するシェア工房であるとともに、
観光客向けの漆製品の展示やカフェスペースを設けた、漆文化の発信拠点にもなっている。
 村産漆の復活に取り組み始めて13年。式典で芝田秀数村長は、「文化の復興、継承には若い力が必要。
この工房がそのための場所となるよう、村を挙げて取り組む」と高らかに宣言した。

職人が住んだ漆部郷
 人口約1500人の小さな村、曽爾村は「ぬるべの郷(さと)」の愛称で親しまれる。「ぬるべ」は「漆部」
と書き、漆塗り職人を指す。ここは漆が多く自生する土地として、奈良~平安時代に朝廷に献上する漆や漆器の
生産拠点「漆部造」が置かれた、漆発祥の地とされている。

 鎌倉初期までに成立した辞典「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」には、漆部造設置にいたる漆塗りの起源が、
こんな伝承で紹介されている。

 《倭武皇子(ヤマトタケルノミコ)が山で狩りをしていたとき、獲物に矢を射たがとどめを刺すことが
できなかった。それならばと、漆の木を折って木汁を矢先に塗り込めて再び射ると、見事仕留めることができた。
手が黒く染まっていることに気付いた皇子が持っていた品物に木汁を塗ると、黒い光沢を放って美しく染まった》
 曽爾村は他にもさまざまな時代の文献で「漆部郷」の名で登場するが、時代とともに漆塗りの文化は廃れ、
いつしか職人もゼロに。戦後はスギやヒノキの植樹のために大量の漆が伐採され、村には「ぬるべの郷」と
いう名前だけが残った。

(以下略)

https://www.sankei.com/west/news/180629/wst1806290001-n1.html


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