中国 ~100年遅れの帝国主義~ まとめ

侵略国家チャイナの愚かな野望を糾弾するためのまとめブログ

カテゴリ: 歴史

1: パリビズマブ(神奈川県) [GB] 2021/03/28(日) 13:31:45.33 ● BE:123322212-PLT(14121)
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【3月28日 東方新報】中国国家文物局は20日、長江(揚子江、Yangtze River)上流域文明の中心とされる四川省(Sichuan)広漢市(Guanghan)の
三星堆(Sanxingdui)遺跡で、約3000年前の黄金の仮面などを新たに発見したと発表した。中国王朝の起源とされる黄河文明と異なり、
いまだ謎が多い「神秘の国」の実像を調べる手がかりとなりそうだ。

 三星堆遺跡は四川省成都市(Chengdu)から北へ約40キロ、成都平原北部に位置し、古くは5000年近く前までさかのぼる。
面積は約12平方キロで中央には城壁のある都市遺構があり、古蜀国の中心地とされる。遺跡は1920年代末に広漢市の三星堆で見つかり、1980年代に発掘を開始。
祭祀(さいし)坑や宮殿建築、住居跡、墓地、城壁などが確認された。

 当時、世界に最も衝撃を与えたのが青銅器や金製品の出土品だ。笑みを浮かべて目が飛び出した現代アートのような異形の「青銅縦目仮面」、
全長4メートルに及ぶツリー状の「青銅神樹」、青銅製人物立像としては世界最大の高さ2.6メートルの青銅立人像、そして青銅器の顔に金箔(きんぱく)の仮面をつけた
「貼金銅人頭像」など、精巧な技術と独創性が注目を集めた。

 発掘が終わった面積は全体の1000分の1程度で、調査は30年以上行われていなかったが、昨年後半から発掘作業を再開。
新たに祭祀坑6基が見つかり、黄金仮面、青銅人物像や酒器、玉製礼器、絹、象牙など約500点が出土した。

 黄金仮面は主に顔の右半分の部分が見つかり、重さは約300グラム。全体の重さは約500グラムと推測され、これまで見つかった金製品の中で最も大きく、重い。
四川大学(Sichuan University)考古文化博学院の于孟洲(Yu Mengzhou)教授は、「発掘した時は何か分からず、大きな金箔としか分からなかった」と振り返る。
四角い顔に大きくくりぬかれた目、三角形の鼻、広い耳。これまでに三星堆遺跡で出土した仮面と同じ形状だ。遺跡から見つかった金製品は宗教的な儀式に関連し、
何らかの権力や地位を象徴していると推測され、古代人の金信仰を反映しているという。

全文
https://www.afpbb.com/articles/-/3338037
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1: 名無しさん必死だな 2021/01/21(木) 20:58:15.50
https://www.afpbb.com/articles/-/3327402?act=all

華氏は翌20日、ジェノサイドは「中国国内で過去に一度も起きたことはなく、現在も起きておらず、この先も決して起きることはない」と明言した。

 人権団体は、ウイグル人をはじめとするチュルク語系イスラム教徒ら100万人超が、
新疆ウイグル自治区の複数の強制収容所に収容されていると指摘。

 証人や人権活動家らは、中国政府がウイグル人に対し、
イスラム教で禁じられている豚肉食や飲酒を強要するなどしてイスラムの習慣を奪い、多数派の漢文化に無理やり融合させようとしていると訴えている

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1: ノルウェージャンフォレストキャット (SB-Android) [US] 2021/01/18(月) 10:23:18.51 ● BE:871593236-2BP(2000)
中国、始皇帝ドラマが物議 「暴君礼賛」に懸念の声

https://news.yahoo.co.jp/articles/4fd4292c9138126252a1d592659cbd15dad72fb2
【北京共同】中国で秦の始皇帝を扱った国営中央テレビのドラマ「大秦賦」が物議を醸している。始皇帝は初の中国統一を成し遂げたが、激しい言論弾圧を行い圧政を敷いたとされる。会員制交流サイト(SNS)には「暴君の礼賛」「歴史の美化」との声も。習近平指導部による集権を正当化する狙いではないかと懸念する人もいる。

 紀元前221年、秦王は他国を滅ぼして初の皇帝に。貨幣や文字を統一した。一方で言論弾圧「焚書坑儒」や、「法家思想」による厳しい統治は中国で批判的に受け止められてきた。

 「大秦賦」は全78話。昨年12月に公開されると、SNSでは「暴政賛美だ」との主張も出た。

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1: 納豆パスタ ★ 2021/01/01(金) 14:20:45.35
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14年間で死者2000万人超 現代中国にも影引きずる「太平天国の乱」という未解決問題

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/12/2000-14.php
無理に抜粋。詳しくは記事リンク先へ。

(略)
■太平天国の乱とは何だったのか

14年にわたる太平天国の内戦は1864年に終わった。
戦場となった地域とくに江南三省(江蘇、安徽、浙江)の被害は大きく、
江蘇だけで死者は2000万人を超えた。
読書人たちは流亡の苦しみに遭い、死んだ男女を「忠義」を尽くした者や「烈女」として顕彰した。
死者の記憶は儒教を中心とする伝統文化の再興という形をとって伝えられた。
(略)

■現代中国に通じる「他者への不寛容さ」
(略)
洪秀全は「神はただ一つであり、偶像崇拝は誤りだ」というキリスト教のメッセージから、
中国の歴代皇帝は上帝ヤハウエを冒涜する偶像崇拝者であり、
清朝を打倒して「いにしえの中国」を回復すべきだという主張を導き出した。
(略)
だが太平天国は、満洲人や漢人の清朝官僚、兵士とその家族を「妖魔」と見なして排撃した。
彼らは太平天国の言う「中国人」の範疇には入らなかったのである。
(略)
「唯一の神を信じるか」という問いは、
それを受け容れない他者に対する暴力を後押ししたのである。

■分権か、権力の独占か

さて太平天国は皇帝の称号を否定し、
洪秀全と彼を支える5人の王からなる共同統治体制をしいた。
軍師として政治・軍事の権限を任された楊秀清と、
主として宗教的な権威として君臨した洪秀全のあいだには一種の分業体制が生まれた。
(略)
逆上した洪秀全は楊秀清の殺害を命じて天京事変が発生し、
石達開の離脱によって建国当初の5人の王はすべていなくなった。
その後諸王による統治は復活したが、洪秀全は独占した権力を手放さず、
かえって中央政府の求心力の低下と諸王の自立傾向を生んだ。

この結果をどのように考えればよいのだろうか。

下層移民の異議申し立てから始まった太平天国は、同じ境遇にある人々に希望を与えたが、
自分たちと異なる相手を受け入れ、これを包摂していく寛容さを欠いていた。
(略)

■くり返し現れる排除の論理

また太平天国のかかえた不寛容さは、
その後の中国で進められた西欧諸国および
日本の侵略に対する抵抗運動へと受けつがれた。
(略)
だが、この抵抗の歴史においても、
異質な他者に対する排斥の論理はくり返し現れた。
外国勢力に対してだけでなく、国内においても「敵」を創り出し、
これを攻撃することで「われわれ」の結束を強化したのである。

中国の場合はこれに階級闘争の理論が結びつき、
毛沢東によって「一つの階級が他の階級をひっくり返す」革命の暴力が肯定された。
それが中華人民共和国の建国後、
反右派闘争や文化大革命などの政治運動で「革命の敵」とみなされた人々に対する迫害を
生み出したことはよく知られている。
(略)
いっぽう太平天国の王制や地域支配に見られる分権的な傾向は、
郡県制の中央集権的な統治がかかえる構造的な問題を改める可能性を含んでいた。
だがその実態は混乱していた。
(略)
郷官に与えられた権限も小さく、
中央から派遣される軍や上級将校の命令と地域社会の板挟みになることが多かった。

■「権力を分散させれば破滅をもたらす」太平天国の教訓
(略)
複数の権威や組織のあいだで常に激しい競争原理が働いていたことだった。
(略)
中央以上の富と兵力を蓄積する者も現れた。
(略)
政権そのものの崩壊を招いたのである。
(略)
「中国は常に強大な権力によって統一されていなければならない。
 少しでも権力を分散させれば破滅をもたらす」
(略)

■太平天国に現れた問題点は未解決のままだ

急速に大国化へ向かう現在の中国を見るとき、太平天国に現れた中国社会の問題点は、
なお未解決のまま残っていることがわかる。
自分と異なる他者を排斥してしまう不寛容さと、権力を分割してその暴走を抑える安定的な制度の欠如は
、中国国内だけでなく、台湾や香港、少数民族をはじめとする周辺地域に深刻な影響を与えている。
(略)
「中華の復興」を掲げて強国化の道をつき進む中国に、我々は粘り強く冷静に向き合うしかない。
そのために中国社会がもっていた異なる可能性を発見し、検証していくことが求められていると言えよう。

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1: シャイニングウィザード(愛知県) [US] 2020/11/23(月) 10:25:48.08 ● BE:896590257-PLT(21003)
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工業遺産の「南満州鉄道」火力発電所を誤って解体…ずさん管理、市が補修へ
2020/11/23 08:16 読売新聞

中国遼寧省撫順で1930年代初め、日本の国策会社「南満州鉄道」(満鉄)が建設した火力発電施設が10月、取り壊された。
撫順市の遺産に指定されていたが、業者が誤って解体した。中国の文化遺産管理のずさんさを改めて示したと言える。

壊されたのは、2011年まで稼働していた発電所の「第2工場」だ。周辺の施設を解体していた業者が第2工場でも作業を続けたという。
地元住民が10月中旬に気付き、市に指摘した。作業は止まったが、壁と屋根の一部を残すだけとなった。市当局は原因を調べ、補修する方針を示した。
満鉄関係者がまとめた資料などによると、第2工場は、満鉄の収入源だった撫順炭鉱の電力需要を満たす目的で建設された。
終戦後も利用された発電所の代表的な施設で、遼寧省を含む中国東北部の経済発展に貢献した。発電所は中国の「火力発電の母」とも称される。
撫順で歴史遺産の保存に取り組む地元の大学生、李想さん(22)は第2工場について「復元は難しいだろうが、残った部分だけでも保存してほしい」と話す。

市当局は18年、第2工場を含む満鉄時代の主な産業施設を「工業遺産」に指定し、保護を命じた。市は「愛国主義教育の重要性を促すことができるため」と説明した。
日本が中国を経済的に収奪したとの見方に基づくものとみられる。中国では急速な経済発展に伴う観光開発などを背景に、文化遺産の管理態勢の不備が指摘される。
習近平国家主席は16年、文化遺産保護の徹底を求める指示を出した。

https://www.yomiuri.co.jp/world/20201123-OYT1T50033/
取り壊された後の画像。壁と屋根の一部を残すだけになった
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取り壊される前の画像
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